蒼き瞳に映るもの
著者:新夜シキ


 希望の世界・アレルガルド。その南海。ぽっかりと頼りなく浮かぶ、アリアハン。
 大陸を冠するには些かそぐわない、上弦の三日月を模した小さな島国。かつて世界最大の貿易港として名を馳せた軍事国家である。

 三日月の内海に浮かぶ一際小さな孤島に聳えるは『ナジミの塔』。魔王バラモスの出現によって船旅を妨げられる前までは、漁船や旅人の足元を照らす灯台だった。
 しかしそれも過去の話。今やその機能を果たせず、荒廃の一途を辿るのみとなっている。

 ナジミの塔、最上階。ここに一人の老人が佇む。
 彼の名は、ゼイアス。半世紀もの昔、仲間とともに世界の闇を祓い、『始まりの勇者』と人々から崇められた存在である。
 強さと優しさを兼ね備えたサルビアブルーの瞳は、遥か遠く夕焼けに彩られた黄金色の大海原を見つめる。その胸に去来する想いは、さて如何様か。何人たりとも窺い知る事は出来ないだろう。
 
「…………」

 老勇者は振り返る。その手に携えられた一振りの木刀を両手に握りなおし、正眼に構えるや神経を研ぎ澄ました。



 それが、戦闘開始の合図となる。



 老勇者の周囲を一陣の影が疾走する。常人では動きを捉えるどころか、眼で追う事すらも難しかろうその影を、老勇者は冷静に見据える。
 影が老勇者の元に強襲し、彼と同じく持つ木刀を振りかざす。

カァン! カァン! カァン!

 矢継ぎ早に繰り出される斬撃。打っては離れ、近づいては打つ。影の速度が強風ならば、老勇者の速度は涼風か。老勇者に速度と力で勝てる道理はない。
 が、しかし、初撃から既に10合。否、実際はその数倍だろう。それほどの剣戟を打ち合って尚、影の斬撃は一度たりとも老勇者に届いてはいない。
 経験により研鑽され極限まで老練された技術と才覚。老勇者はその二つを以て絶対的に足りない速度と力を補い、剣戟を互角にまで引き上げている。
 木刀を打ち合う乾いた音が、不可侵の塔の最上階にて木霊する。その響きはよく出来た音楽のようだ。踊るように、流れるように、華麗に身を翻す。その打ち合いはよく出来た演舞のようだ。

「(ふ…これも血筋と若さと天賦の才が成せる業か…)」

 打ち合いの最中、老勇者は嬉しげに口元を綻ばせる。老勇者には未だ届かないまでも、影の速度と正確性は一月前、いや、昨日よりも更に向上しているのだ。

 老勇者は完全に迎撃の構え。速度で敵わぬ以上、相手に向かわせてこれを返り討つのが必定。老練された技術はこう言う所でものを言う。自分の技を理解し、素早く相手の技を見抜く。その上で、最上の手段を選び出すのだ。
 とは言え、老勇者とて余裕である訳ではない。影の暴風は、迂闊に反撃へと転じれば一気に形成逆転されてしまう危険性さえ孕んでいる。

 いつまでも続くかと思われた追撃対迎撃の戦闘は、遂に最終局面を迎える。

 両者の間合いは約10m。互いに得物を正眼に構え、真正面から対峙する。
 老勇者は目を閉じる。正面から斬りかかって来る相手。視覚など何の役に立つだろう。それならば、その分を他の感覚へと割り振った方が事を成しやすいというものだ。修練を常人ならざる領域まで積み重ねた達人のみが扱える『心眼』と呼ばれる無我の境地。それは正に神技の如く、鍛え上げられた感覚の刃に他ならない。

「……………」

 長い、刹那。
 否、長いと感じているのは両者のみ。研ぎ澄まされた神経はその僅かな刹那を何百倍にも引き伸ばす。張り詰めた神経は、疲労をも倍加させる。精神を、そして肉体を磨耗させる。

 追撃対迎撃の戦いでは、追撃の方が動かなければ始まらない。つまり、追撃者は相手の精神を如何にすり減らすか。迎撃者は自分の精神を如何に保つか。見も蓋もない表現をするならば、我慢比べ。その駆け引きをどう自らの元へ手繰り寄せるのかが勝敗の分かれ目となるのだ。

 老勇者の頬に一条の汗が流れる。その雫が、床へとゆっくり落下した。

ポタッ

その幽かな音が合図となった。凍りついていた時が目まぐるしく動き出す。影は正面から真っ直ぐに老勇者へと疾駆する。

「ッ!!」

 老勇者はあらゆる神経を収束し、迎撃の態勢を取る。

 ――――まだだ…。まだ早い…。

 迎撃は早くても遅くても負けだ。慎重に。細心の注意を払って最良のタイミングを計らねばならない。

 ――――今だ!

 影が老勇者の絶対領域たる間合いに入り込む。その瞬間、全力を以て木刀を薙ぐ―――!



 しかし。老勇者の一撃は空を切った。



「なっ……!」

 口をついて出るのは驚愕か。それもその筈、眼前から迫り来る影の斬撃が、気配ごと掻き消えたのだから。
 だがそこは百戦錬磨の老勇者。次の瞬間には影の狙いに気付いていた。



 そう。影は老勇者の鼻先で、床を蹴り頭上を飛び越えたのだ。



 影は空中で体を反転させ、着地の衝撃さえも反動に利用して老勇者の背後から殺到する。その速度たるや先程の剣戟とは比較するべくもない。その姿闘神の如し。影は最速を以て老勇者に襲いかかる―――!

 最早目を瞑っている場合ではない。老勇者は双眸を見開き、踵を返す。迎撃は出来ずとも、防御だけならば充分に間に合う。相手の一撃を防いだその後、攻撃に転じれば状況は如何様にも好転出来よう。
 相手の動きに合わせ、老勇者は木刀で頭部を防護する。



 が。その判断が明暗を分けた。老勇者が詰めを誤ったのではない。称えるべきは影の方。影は老勇者が振り向いた刹那、ほんの僅か足元に出来た隙を見逃さなかった。
 


「やああああぁぁぁッ!!」

 裂帛の気合とともに影の剣が奔る。奇しくもアリアハン大陸とは正対、下弦の三日月を象った斬撃は、老勇者の足元を薙ぎ払う―――!

「ぐっ!!」

 振り向きざまの体重移動を残す足元はほんの一瞬、右足が僅かに浮き上がっていた。全体重を支える左足を内側から払われては、如何な老勇者とて成すすべなく地面に崩れ落ちるしかない。
 そう。影の狙いは始めから足元。老勇者の技術と経験を影の才覚と計算が凌駕した瞬間だった。



 結果。ここに雌雄を決した。肩口から倒れ伏した老勇者は敗者。そして…倒れた老勇者に、未だ油断無く切っ先を向けて立つ影が勝者となった。



 老勇者は目の前に雄雄しく立つ影…否、少年を眩しげに見つめる。敗北の無念よりも先に立つ感情は、驚くべき成長を遂げた愛弟子に対する素直な賞賛だった。



「……ワシの負けじゃ。強くなったな……アレル」



 少年の名は、アレル。偉大な父の後を継いで、まさにこの翌朝バラモス討伐の旅へと発つ。鮮やかな夕焼けを背に、やがて新たな伝説へと至るであろうその荘厳な立ち姿を、老勇者ゼイアスはその蒼き瞳にいつまでも焼き付けていた――――――――



――――あとがき

 私が当初書こうと思っていた『DQV』ノベライズの本編1話目をプロローグの最後に直して書き下ろしたものです。時間軸的には旅立つ前日の、ゼイアスとの最後の稽古でしょうか。
 私にしては珍しく、ラブコメ・ギャグの一切を排除してがっつりバトル。俺より強いヤツに会いに行くって感じです。俺の前に道はない、俺の後に道が出来るって感じです。前回のバトルシーン同様Fateに影響されまくりですが。つーかより顕著になってるな、明らかに。
 …ただ、これだとアレルが強すぎて今後の展開が危ぶまれます。旅立ってすぐ位でもカンダタとか敵じゃなさそう…。



――――管理人からのコメント

 ううむ、たくましくなったなぁ、アレル。
 なんだか子の成長を見守る親のような心境です。新夜シキさんもきっとそうでしょう。

 しかし、ゼイアスのキャラがいまひとつ、つかみにくいなぁ。ちゃんと活躍させられるといいのですが……。
 いやまあ、そもそもゼイアスが活躍する必要はない気もしますけどね。
 それでは。



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